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2006年12月18日

12月18日 事情はよく分かりますが。入札くらい参加させてくれんですか。


念のため、ある役所のある案件の入札での出来事と書いておく。
そしてそれがどこの会社で起こっているかは定かでないと付け加えておく。

しかし、それが現実であり目の前での現在進行形の事柄である。
こればかりは、空想の世界でもなく又あの世の出来事でもない。
今現在誰かの身に降りかかっている事実である事は誰しもが決して否定できないはずだ。





あくまでもあの会社として書く。




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「今回の入札案件もかなり高額のようだ。」
ある役所の入札通知書を眺めながら一人呟く。
その通知書には談合防止の用紙も添付されている。
談合が税金泥棒との世の批判が渦巻く昨今、談合は決してやってはならないとの
達しは当然うなづける。
否、従来より談合そのものが存在すること自体に疑問符が付くのであり、談合により
国民の血税がある特定の人物そして会社へと流れていたとすれば
そこは諸悪の根源であると容易に判断が可能だ。

今回の入札は物品販売であり、製造メーカーより仕入れそして役所へ販売する。
但し、機械装置の販売は物を右から左に流しそれで終わりでない場合が多い。
大概、重量物が多いために荷降ろし作業、あるいは解体、据付まで面倒を見る場合が多々ある。
それなりに金額はするものであり入札に参加する企業も多数になる。

「今回は2社の製造メーカーより仕入れできるのか。」
談合と言う2文字が世間を騒がせ始めた頃より、この役所も製造メーカーをなるべく1社に
限定しないようにしているようだ。
仕入れるメーカーを限定してしまうと当然価格そのものが独占的金額となりうる。
つまりメーカーの言いなりの価格でしか入札業者は出せなくなる。
製造メーカーを1社のみに限定しないという行為は税金を払う立場の国民、県民そして
市民として当然歓迎されるやり方だ。
1社のみであれば製造メーカー側も価格統制が取れ、値崩れが起きない。
入札業者に対しては、落札して欲しい業者のみに価格優遇すれば良いのであり
製造側としてみればこれこそが最も望ましい入札形式だ。

役所から支払われるお金は全て国民から集められものでありそれを1社の采配のみで
決定されるとすればその入札の流れには疑問符が付くかも知れない。

しかしながら、製造側としてみればいかがであろう。
誰しもが裕福な生活を望む。
それならば当然より高い給料を待ち望む。
それは、その会社員の活躍次第でその金額も左右される。
大概、大手メーカーが役所入札の製造者だ。
製造側の担当者としてみれば自分自身の査定に関する重要な事柄であり、
当然ながらなるべく高い金額で売りさばこうとする。
自分の給料、ボーナスが上げるためにはいかなる行動に出るかは
書かなくても容易に想像が付く。
会社は利益で成り立っているのであり、利益幅が大きいほど儲かる。
会社が儲かるれば儲かるほどその会社で働く各個人への給与へその利益は反映する
ことになるはずだ。
そうでないとすればその内容に関してはその上層部へ確認していただきたい。

しかし、ここでも書いておく。
あくまでも役所から支払われるお金は国民の血税だ。

最近の役所の行動には賛意を示している。
昨今入札の製造メーカーは必ずしも1社ではない。
それだけでも血税の使途は救われるのではないか。

又、入札に参加する業者も1社独占でないため仕入先の選定が可能だ。
2社以上のメーカーへ価格の問い合わせができる。
製造側としても競争相手があるため、価格統制が困難だ。

そして今回の入札案件も2社の製造メーカーを選定できる内容だ。
当然の行為として2社共に仕入れ金額の問い合わせを行う。
それぞれのメーカーへ価格の問い合わせを行った。
入札参加業者としては当然ながらそれが案件参加のための始まりであり、第一歩である。

ところがだ。製造側メーカーが思いのよらない行為に出る。
それがだ。1社のみではなく2社ともなのだ。
これには誰しもが驚愕の境地に至るはずだ。


自分の耳を疑った。
「お宅へは金額は出せません。」と冷たい一言。
2社とも同様の返事。
その理由を問い合わせても答えるはずもない。
何度も詰問すれどもその答えなど出てくるはずもない。
こちらの怒り心頭の発言にも一切耳を貸さない。

仕入金額が出てこないのであれば当然入札すら参加できない。
入札とは金額を書いて提出する。
それが入札制度の出発点のはずだ。
ところがだ。その入札の用紙に金額を書くべく数字が一切書けない。
金額を書いた用紙を封筒へ入れ提出する。
それが入札制度のはずだ。

ところがだ。
封筒に入れるはずの金額の記入された用紙そのものが作成できないのだ。

これは入札参加できないという事実をあからさまに表現させようとしている。
入札業者が入札すら参加できない。
こんな事実が現実に存在するものなのか。
入札外業社なら当然参加権限はない。
それに入札業者として以前に何らかの問題を起こした事実は一切ない。
そのメーカーとの間に何かしらのトラブルがあった過去などない。
そればかりかその1社のメーカーの製品が我が工場で活躍しているのだ。

それではいかなる行動へと移るべきか。
次なる行為は一体何をすべきか。

メーカーより価格提示を拒否された瞬間より僅かな時間の経過である行動へと出た。
「今回の入札のメーカーは価格を出してくれません。」
と。
もちろん入札案件の元である役所のその部署へと連絡を行った。
「価格が出てこない以上、今回は入札辞退ということになるのでしょうか。」
との言葉を発し相手からの返答を待つ。
入札辞退などなるべく避けたいが今回はどうしようもない。
相手は驚いていた。
「そんなメーカーあるんですか。」との疑問符が付いた言葉が何度もこちらの耳に響く。

最終的な役所側からの回答とは。
記しておく。
「やむ得ません。入札辞退書を書いていただきます。
そして、理由を書く欄がありますのでその事実をはっきりと書いて頂いて結構です。」


その声は私の耳に響き更なる心配が消え得るのが自分自身で分かった。
もし、その電話口から聞こえてくる内容が違ったものであれば。
私の杞憂が現実のものであったであろう。
私はその人物が存在する事だけでも日本国に生まれた喜びを噛締めた。


最後にしつこく書いておきます。
あくまでも役所から支払われるお金、全額国民の血税です。
確かに、日頃の営業活動は評価されるのは当然です。
その業者を優先させるのは当然の行為であり、それに対しては何ら非難、批判は致しません。
しかし、入札に参加する権利を剥奪する行為は果たしていかがなものでしょうか。
確かに会社の存在価値の第一義は会社のブランドつまり会社名であることには
間違いありません。
当然ながら会社のブランドこそが一人歩きしようがその権力は偉大である事には
納得できます。
大企業ではない、零細企業が果たして同じような行為ができうるかと言うと
できるはずがなく、ましてやその行為そして動作すら思い浮かばないでしょう。




これからも企業の論理に操られながら、ひたすらものづくりに没頭するつもりです。
しかしながら、地道にひたすら淡々と。
一歩一歩前を向いて。
少しでも前に進めば私は満足です。
いかなる大きな波が目の前に現れそして、その波に飲まれようが生きていればそれで
満足です。
努力してもだめであれば進む道が間違っているのかも知れません。
しかしながら違う道を歩みだしても決して今までの過去は経験そして体験は無碍には
できず未来の糧の一部にはなり得るはずです。
贅沢などできなくて結構です。
いつも首が回らないのは事実なのでそれが自分自身の実力です。


だからいつも幸せですばい。????


皆さんの血税。一体何に使われていますか。




それでは又です。




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読破中。
「ながい坂(上)」山本周五郎著。
悪事とは何を指すのでしょうか。
悪事と秘事の関係とは。


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2006.12.18by 博多の森と山ちゃん