10月6日 私はお電気です。
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一向に前に進まない。
一向に進行しない。
既にしばらくの間停止したままだ。
やるべきことは自分では十二分に理解している。
やらなければならない事は自分自身の意識に明確に植え付けられている。
ではどうしてやらないのか。
どうして自分自身で進行させないのだ。
自分自身ではやろうという意志はあるし、既に頭の中には完成した姿が思い浮かんでいる。
しかしながら一向に前に進まない。
やろうとしても手足が全く動かないのだ。
意識の上では自分自身の体全身を動かせとの指示を思い存分出している。
その指示は本来であればたちどころに体全身へ伝わりそして私は融通無碍にそして自由自在に
優雅にそして典雅に舞い踊るように立ち振る舞っているはずだ。
ところがだ。
私自身の五感を兼ね備えた体へ命令を出そうが、そしてついぞ奮起を立たせるべく
いやおう無しに叫ぼうとするがするが、既に喉は渇ききってしまっており、
そのかすかな声すら発散できないのだ。。。。。
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今読んでいる本に非常に興味をそそられる内容が書かれたあった。
その本は雪の研究での有名な物理学者である中谷宇吉郎氏の「科学の方法」。
その中でどれだけ正確に科学の力で自然を計算できるかを書かれた文章が
数多くある。
私自身が関心を覚えた内容。
備忘録としてあらすじを抜き出しておく。
詳細は実際の書物を読んで欲しい。
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鉄の球を高いところから落とした場合、どういう落ち方をするか考えてみる。
この場合、法則というのは鉄の球と地球との間に万有引力が働き、それが重力となり
球を地球の方へ引くことである。
重力の加速度は、大きさ重さに関係なく秒速980センチメートル毎秒加速されていく。
決まった数値で加速された運動をするということがこの現象を支配している法則だ。
では実際に鉄の球を落としてみる。
実際の事実が法則の計算式と一致するならこの問題が解けたといい、そしてこの現象を
完全に知ったというのである。
しかしながら、本当の意味では解けていない。
時間を非常に精密に計ってみるとたいていの場合遅くなる。
これは空気抵抗のせいだ。
それならば、空気の抵抗による速度の減少の分だけ計算してひいてやれば良い。
しかし、それでも完全には合わない。
それは空気の抵抗自身がそのときによって、みな異なるからだ。
空気の抵抗は、温度、気圧、湿度が違えばみな違うはずだ。
その他にも厳密に言えば地球の磁気の影響もある。
鉄の球は磁化して重力以外にも磁力がきいていてもおかしくない。
それでは、その影響を計算しておいてその分だけ引けば良いではないか。
しかし、地球磁気は刻々に変化している。太陽の黒点が出たりすると磁気嵐が起こる。
その影響をあらかじめ計算しておく事はできない話である。
もっと細かい話。
他の天体。太陽、月の影響も考えられる。
太陽、月の引力そして他の星の影響もあるはずだ。
こういう球が落ちるという一番簡単な問題でも、決して解けたとはいえないのだ。
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分かれば分かるほど分からなくなるのが科学だとよく言われとりますが。
如何でしょうか。。。。。
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既に意識は朦朧とし始め自分自身の肉体と頭脳があたかも切り離されたようだ。
一歩一歩踏み出す足の動きですら、自分自身の動作と把握できずひたすら操り人形の
ように、無造作に前へ出すだけだ。
果たして本当に自分の手は動きそして足は歩んでいるのか。
自分の体は自分自身ではないかのごとく動いている。
意識はある程度ははっきりはしている。
目は明いている。
既に暗くなった周りの風景は自分自身の目には映し出せるようだ。
では如何にして事を運ぶのか。
実際自分の足で歩む事はできるようだしそして自分自身の意識は何とか
存在しているようだ。
さあと言う掛け声は出せなくても存分にそして多大な大声で自分自身の潜在意識へ
訴えそして何とか前へ踏み出そうとしている。
それには決して言い訳など逃げるという言葉を打ち消しひたすら大きな壁を打ち破るが如くに
自分自身の脳細胞に訴え掛ける。
ついぞ意識ははっきりとはせずとも、そして自分の意志の通り体は動かなくても
自分自身は今ここに存在するのである。
今現在ここで何をすべきか。
一体何をやれば良いかは自分自身ではしっかりと把握しているつもりだ。
しかしながらそれができないとすれば私自身がいかなる行動いや仕草いやついぞ諦めと言う
言葉を噛締めることになるのであろう。
さすればそれが逃げるという言葉と同一性を求めるなら即座に私は断固として否定する。
それが言い訳だとすれば私はあくまでも認めるしかないであろうか。
その言い訳とは疲れとか歳とか理由付けを行いたくないし、実際やろうとも思わない。
さすれば私にはしばしの休息を必要だと有り難く教えているのであればそれこそが
逃げへの甘い誘い言葉である事は十二分に事前に認識しているつもりだ。
さあっ。まだまだ未熟者である自分。
このくらいでへこたれるなとの心温まる優しいささやきであるとの思いがようやく
把握できたのであろうか。
やはり生身の人間とは自分自身対して凄みと言う歴然たる事実が自分の身体を襲い
そして鑑みる事によってのみひときわ生々しく一人の人間として進歩成長するものの
ようですばい。
さあ来い。更なる凄みある大きなものづくりよ。
皆さんはお元気ですか。
私はすごぶるお電気です。
それでは又です。
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2006.10.6by 博多の森と山ちゃん
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