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2006年07月17日

国家の品格と大学時代の黒いガクラン


本日は俗に言う3連休の最後の日。

一気呵成に書くべく図面作成為に休みのない連休だった。

進捗状況と言うと自分なりには何とかという表現を使用したい。


そして遠方で本日より現場活動を開始した、我が町工場の若き職人とも
その機器の稼動状況を確認するため電話確認を行った。

これについては今のところ安定稼動という表現を使いたい。







ようやく「国家の品格」藤原正彦氏著作を読破した。

この内容には養老孟司氏の著作と似通った点もあった。


しかし、この本の根底に流れる「自由と平等は両立しない」という
考えには私自身首を縦にふる以外なかった。

最近「格差」という文字がマスコミにも頻繁に登場するようになった。

しかし、この格差。
民主主義国家である以上当然出てくる現象であることは書くまでもない。

この格差の言葉にひとしをの感を味合わせていたことには感謝を述べたい。

冠たる民主主義国家であるアメリカを見れば富の格差が特に大きいのは
周知の事実だ。

論理で何もかも表現できるかというとそうではないはずだ。
それをあたかも表現できると信じているところに人間の誤りはあるようだ。


養老氏と似通った点。
1.論理で何もかも説明できるはずがない。
2.英語教育を優先する日本国への憂い。
3.論理以外の事柄の大切さ
4.日本に真のエリートがいないことへの将来への不安


天才輩出の土地柄については、脳科学者である茂木健一郎氏と同意見である事には
驚いた。
自然豊かな場所から天才は生み出されるらしい。


そして数学には情緒が必要だと。

この内容については私もほんの僅か頷ける点がある。
それはものづくりのも情緒が必要だと実のところ常日頃感じているからだ。
確かに計算式により出た数字に基づき図面を書き作っていく。

しかし、その機械機器をつくる際どうしてもそのお客様の担当者の顔を
思い浮かべながらものづくりをやってしまうのは多分私だけではないと思われる。


この本が主張している「情緒と形」。
それは武士道に繋がると書かれてある。


詳細はこの本を読まれてください。
もう既に読破された方は多いでしょうが。


「情緒と形」
私はどうしても過去のあの経験を思い浮かべてしまう。
既にもう何十年も過去のことであるのに。
しかし、やはり体に染み付いた過去の出来事なのだろうか。

それはあの黒いガクランの集団である応援団。

何もかもが先ず形から入る。
そこには決して論理の入る隙間など全くない。
先輩は神様でありそして言われた事対しては「押忍」という返事のみ。

そして先輩の動作を常に真似しそして自分のものにする。
いや自分自身がその通りの動作が出来なければその後どうなるかを
自分自身の身に降りかかって来る恐ろしい未来の出来事を思い浮かべながら
必死の形相でひたすら真似る。

それは科学そして論理そんなものは全く必要ない。

ただやるだけ。つまり形を先ず覚えるという事だ。


夏の応援はきつかった。
いまだに鮮明に覚えている。

ただでさえ黒のガクランは重たい。
それは足の膝位までの長さがあるためだ。

黒のガクランの下には必ず真っ白のワイシャツをそれも長袖を着ていなければ
ならなかった。

それは長袖でないと汗で腕がひっかかるためだ。

夏は常に黒いガクランは白の太い線が何本も入っていた。
それは実は汗が塩となり色付けを行っているせいだ。
そしてとてつもなく臭い。

洗濯クリーニングなどしたためしがない。


夏の炎天下の応援はきつかった。
黒い色は太陽光線を吸収してくれる。

とてつもなく汗がとめでもなく出てくる。
そのため次第に汗を吸収したガクランは重くなっていく。

ただでさえ、首が高い上一つ一つの動作に力が必要なガクラン姿に
なおさら大きな抵抗が発生する。

重くて臭い。その上暑い。

しかし、そんことは当たり前だ。

声が出ていなければ当然上級生からの罵声。
ひたすら大声を張り上げ応援し、そして無駄な動作は一切行わない。

水など飲めるものか。
ただひたすら大声を張り上げ応援するだけだ。


よくまあ生きていたのものだ。


暑さと重さと匂い臭さでふらふらになりながらも体で覚えている形。
それは忘れないし、自然と体が動いていた。

応援には一糸乱れぬ美しさが必要だった。
そしてそのことを徹底的に教えられた。


私が応援団の幹部となりその下級生の演舞を見渡せる立場になった際に
その一糸乱れぬ息の合った動作に感嘆の心地を覚えたものだ。

そしてその演舞の揃った動作の美しさにある種の論理では決して説明できない
曖昧なものを感じたものだ。

私はそれこそが情緒ではないだろうか。

実は私はこの本を読みながらこの情緒の意味合いをひたすら考えていた節がある。

確かにこの応援団の世界には自由という言葉は決して当てはまることは
ないであろう。
神様と奴隷。
私たちはその当時そう表現していた。

しかし、そこには果たして格差は存在していたか。
そして平等という言葉はなかったであろうか。

実は今にして思えば自由がないが故にいつかは自分達も神様になれるという
思いばかりで決して格差などほんの少しも感じていなかった。
そして同じ学年いつも皆平等であった。

私は黒い制服であるガクランと共に過ごした大学4年間。
実は自由以外のとてつもなく大きなことを味わったのではないかと
振り返っている自分が今ここにおるとです。


そこには格差そして平等など一切感じさせない「形」が存在し
そしてその統一された息の合った演舞の動作の美しさという「情緒」が
自分自身の大部分を占めていたのですばい。


「形と情緒」。
しかし、英語は話せなくても、金持ちではなくても、人の為に死ねない
偽者のエリートでなくてもこの言葉を理解できる日本人であることに
誇りを持てることが何よりの幸福者だと今現在感慨ひとしをの感を
大きくしているのですばいっ!!


それでは又です。






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2006.7.17 by 博多の森と山ちゃん